「知性」と「考えること」

 ブログとは何を今更感がありますが、Twitterではなかなか書けないようなことをかけるっていうのがブログのメリットだよなーと、フォロワーを見ていて感じたことであります。そんなTwitterで書き足らないことを中心にお話しできたらなとは思っています。

 

 初回は「知性」と「考えること」

 

-本性現したね。

 

 いや、本性とかそういうことじゃあないんだよ。でもそんなに難しく考える必要も無いと思うのです。少し前(かなり前もか)、Twitterで頭のいい人と頭の悪い人の考え方の違いというのが流行っていました。頭のいい人の方があるものを見た時の連想・「モノとモノとのヒモ付け力」が強いということを示唆したかったんじゃないかと思います(元ネタはばななの方じゃないです)。

 

 さて、最近様々な機会に恵まれて色々な分野・学力の人と話すことが多くなりました。そこで感じたのは「説明力」は個人差はあれど、「学力」のあ(ると言われている大学に在学中の人ないし、卒業してい)る人であればあるほど、「自分の意見」というものをしっかり持っているような気がしました。こういう言い方をすると(非常に残念なことではあります)失礼に当たりますが、頭の悪い人(と分類されるような人)から自分の意見というものを聞いたことがありません。

 

 そこで、私は逆に「自分の意見を言わない人をどう分類するか」に重きを置きました。

 

・自分の意見を持っているが、周りの和を乱したくないから話さないタイプ

・そもそも自分の意見を持っていないタイプ

 

自分で思いついたのはこれくらいです。上に関しては必要な時であれば是非喋っていただきたいのですが、ここでは置いておきます。下の人間をどう分析すればよいか。なぜ君は自分の意見を持っていないのかァ!その答えはただ一つ…

 

何も考えていないからだァ!

 

当然答えは一つだけではないと思いますが、私はこう考えました。

なぜか。それは、「彼(女)らが、考えることをやめた」からではないかと考えています。個人批判をするわけではないですが、脳みそ空っぽと言われてここまで生きてきた私自身が絶望するくらいに何も考えていません。俗に言う「指示待ち人間」ですネ。「指示待ち人間」のどこがいけないのかと言いますと、別に最初は「指示待ち」でも問題ない、というか、作業の段取りや物事の進め方を身に付ける方が重要ですから、やることそのものに関しては指示を待たねばならぬと思います。しかし、将来的に組織の中核になった時、「指示を出してくれる人間」というのが居なくなってしまいます。これでは組織の構成員に指示なんか出すの無理ですから、タスクが雪のように積もってしまいます。これが私の考える「指示待ち人間」のダメな理由です。

 

で、話を元に戻しますと、先で「頭がいい人」「頭が悪い人」という区分けをしましたが、先の流れでいくと、どうやら(少なくとも私の中では)「考えることが出来る」「考えることが出来ない」という分け方をした方が良さそうだということになりました。りんごを見た時に「考えることが出来る人」は「赤い」とか「青森」とか「アオレン」とか「シャイニー」とか「余市」とか「仁木」とか「七飯」とか「Bad Apple!!」とか「つがる」とかそういう風に連想している間に「考えることが出来ない人」は

 

「 り ん ご 」

 

で、完結してしまっているわけです。どこかの刑事さんの如く、「考えるのをやーめた」なのです。

 

冒頭のリンゴの話で例えてしまったわけですが、これを「物事」や「システム」に置き換えても近いのかなと思います。学生であればサークルが分かりやすいかと思いますが、例えば会員が全然入らなくても全く危機感を感じられない役員の方も居たりしました。もう少し私のことも労わってください(殴

そう、びっくりするほど現状の異常さに鈍感になってしまうのです。「ここをこうすれば会員の負担が減るな」とか「会員を集めるためにこういうことをしてみよう」とかそういう「挑戦」ですらない「創意工夫」ですらすることをやめてしまう「不思議な人」も居るものなのです(組織にはいろいろな人が居ますから)。ただ、組織をいい方向に変えていくのはいつも「現状の異常さ」に気付ける人なのです。こういう人の頭の回転は総じて速いです。多分考えることに慣れているからでしょう。そして「考えること」を常々している人のやってきたことの積み重ねが「知性」なのではないか、と私は考えます。

 

追記:ちなみに、私の好きなりんごの品種は「つがる」です。今時期「サンつがる」が出回ってるのでもう少しかな…